華僑・中国人の投資ノウハウ「チャイナマネーを追え!」【第2章】:第6回

第2章:世界に飛び出すチャイナマネー

第6回

■「世界の工場」として再出発した中国

さて、チャイナマネーが世界に飛び出すようになった過程について述べたいと思います。

1976年の毛沢東の死去により、悪名高い文化大革命は終焉を迎えました。そのあと、復活したケ小平が、混乱で疲弊した中国を立て直すべく、「改革開放」を打ち出しました。

これを受けて、悪平等主義の象徴だった人民公社が解体され、生産請負制が導入され、都市部では外資の利用が積極的に奨励され、経済特区や経済技術開発区が設置されました。ケ小平の政策により、中国は世界に向けて開放されていきました。

改革開放路線は、農村部と都市部、沿岸部と内陸部における経済格差を深刻化させた弊害もありましたが、1992年のケ小平による南巡講話に続き、江沢民・朱鎔基政権のもと、中国は「世界の工場」として世界中で認知度を高めることに成功しました。

1990年前後に我が国で起きたバブル崩壊、それから現在にいたる20年間に、日本全体は進むべき道を見失っていきました。一方、その間、お隣の中国は急速に経済成長を続けながら、その確かな存在感を世界にアピールしてきました。

日本と中国は、まったく正反対の道を歩んできたと言えるでしょう。

事実上、改革開放は、中国で金儲けをしてもよいという国家のトップによるゴーサインでした。中国が経済的に大きな力をつけていくはずだと考えた目ざとい台湾や香港などの企業が、次々と中国国内に工場をつくり、欧米や日本のスタンダードに見合うモノをつくって、輸出しはじめました。

遅れをとってきた中国国内企業も、どうやってモノをつくったら売れるのかを考えた結果、効率の悪い国営企業の統廃合、整理がはじまりました。

また、安い労働力を目当てに世界中の製造企業が中国に拠点を設け、モノをつくりはじめました。

日本企業も、バブル崩壊後の長期的なデフレや厳しい価格競争などの影響から、中国に安い労働力を求めて続々と進出していきました。自動車や家電(電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、テレビなど)、電子機器(パソコンや携帯電話、DVDプレイヤーなど)をはじめ、多くの業種で中国への進出が見られました。

この時期の中国は、「世界の工場」という位置づけであり、巨大消費市場と捉えられるには至っていませんでした。中国人の購買力の水準はまだ低く、本格的な消費市場として認識できる材料が少なかったためです。すなわち、外資企業は、中国に進出してモノをつくり、中国国内で販売せず、自国か第三国に輸出することを中心に考えていたわけです。

この間、中国は、ひたすら欧米や日本などの企業を誘致し、モノを輸出しました。

中国の工場からつくられたモノが、日本にも一気に入り込んできました。最初は「メイド・イン・チャイナは粗悪品」と決めつけていた日本人も多かったと思います。それが、いつの間にか身の回りに中国製品があふれるようになりました。たとえば、100円ショップには日本人好みにつくられた中国製品が数多く販売されています。日に日に質が向上し、中国製品でも気にならなくなってきた人が増えていっただけでなく、むしろ中国製品であることが当たり前になっていきました。

中国は、「世界の工場」として「世界が必要とする中国」という地位を築いていきました。

今、中国が「世界の工場」であることをやめると、どのようなことが起きるか容易に想像できるでしょう。われわれの日々の生活が脅かされるのです。

中国がその影響力をわれわれの生活レベルまで浸透させた20年間、日本はいったい何をやってきたのでしょうか。

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